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原発問題と電力需要

東日本大震災の影響で、1ヶ月すぎた今でも福島第一原発では予断を許さない状況が続き、その中で技術者たちががんばってくれています。その方々には一日も早い休息と健康が速やかに回復されるのを祈るばかりです。

今回の危機的状況について、ニュースで流れる情報しか知らない私は正確なところは何もわかりませんが、震度6以上の地震とそれに伴う余震、14,5mの津波が襲ったにもかかわらず建物自体が持ったことに驚いています。仮定の話ですが、これで冷却用の電源さえ確保できていれば、想定以上の状況に耐えた原発を作った技術者の方々には敬意を表したいです。ただ、残念なことにそうはなりませんでしたが、ここまで事態を食い止めてきた技術者にはただただ感服するのみです。

これまで、日本の原発行政は、簡単に言ってしまえば
大都市で必要な電力を確保するために地方におカネを与えて、原発のリスクを押しつけてきた。
と思っています。

電源三法という法律によって、これは原発に限らないのですが、発電所を設置した市町村、周辺自治体にはいろんな補助金、交付金がつくことになっています。この金額は発電所の出力に比例するので、出力の大きい原発ではかなりの金額が地方に落ちてくることになります。人口の小さい村などでは、年間予算の数年分という金額になることもあります。そのリスクを受け入れることで、自治体にはお金がきて、一時的には潤うことになります。
こうやって、大都市の電力需要を地方がまかなってきたのです。

私も20年ほど首都圏にいたので、その片棒をかついでいたのは確かです。それでも、そういう意識はあったので、節電には努めてきたつもりです。夏場でも極力エアコンなどは使わない。どうしても暑いときは可能なら図書館などを利用する。待機電力を少なくするため、スイッチ付きのテーブルタップを利用するなどしています。これでも、家にパソコンを買ったり、携帯電話を買ったりと電気を使うものは増えてきました。きっとこれでも足りなかったと思っています。
しかし、ここぞとばかりに原発をすぐ止めろとか、放射能が漏れたから東京の人は逃げましょうなどと声高に叫ぶ人たちには納得できないところがあります。もちろん、被ばくのリスクを子供たちに押しつけたくはありませんから、可能であれば逃げてほしい部分もあります。でも、大人たちは原発の近辺に比べるとずっとリスクの少ないところにいるのだから、福島の人たちと一緒にふんばってほしいと思います。
私が首都圏にいないからそう言えるんだと思われる方もいるでしょう。不快に思う方も大勢いるかと思います。

ただ、リスクを地方に押し付けているのだということを知ってほしいです。

私のいる鹿児島にも薩摩川内市に原発が2基あります。3基目の設置が決まったところでした。鹿児島市中心部からは50kmくらいの距離です。もしその原発が福島と同じような状況になった場合、放射能の被害はあまりなくても、物資などはもっと滞るのではないかと思います。福島では原発周辺を除いて、北から、南から、西から物資を送ることができますが、鹿児島市内は北からしか入れません。同様の津波により港が使えないとなると物資は北からしか入れない陸路しかなくなります。風評被害も含め、どれだけのトラックのドライバーが来てくれるのか?と考えてしまいます。それでも生活できる限り留まるつもりでいます。

最後に私は原発について、もちろんないに越したことはないですが、今の日本の状況を考えると原発抜きで経済を含めた生活が成り立つとは思えません。今後20年、30年かけて新しいエネルギーを模索し、転換していくことが必要だと思っています。
今回の震災に限っていえば、
福島の原発が廃炉になるのであれば、その周辺の緩衝地帯に太陽光パネルを敷き詰める。
新たに復興のため新築される住宅を含めすべての建物に太陽光パネルを設置する。
田畑で津波の被害により使えなくなった耕作地にも太陽光パネルを敷き詰める。
これらから生まれる電気は国、もしくは電力会社、または折半で今の2倍~3倍の金額で買い上げる。期間限定、被災地限定で5倍程度の金額とするなどすれば、被災地の復興につながり、エネルギー転換が進むのではないだろうか?大量に太陽光パネルが必要になれば、単価も下がるのではないだろうか?
倍数については適当に書いているので、実際の数字はどの辺が適当かはわかりません。
期間限定、被災地限定については、その期間内に設備投資を回収できるくらいの金額を稼ぎ出せる単価というのが理想です。

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